|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 埴生 : [はにゅう, はぶ] (n) clay soil ・ 生 : [せい, なま] 1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神社 : [じんじゃ, かむやしろ] 【名詞】 1. Shinto shrine ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto) ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
埴生神社(はぶじんじゃ)は、千葉県成田市にある神社である。旧社格は郷社。別名、三ノ宮埴生神社(さんのみやはぶじんじゃ)と言う。三ノ宮様(さんのみやさま)の通称で親しまれている。 成田市並木町にも同じく「三ノ宮埴生神社」が存在するが、総本社は郷部の埴生神社である。 伊奘冉命(いざなみのみこと)の子・埴山姫命(はにやまひめのみこと)を祀っている。土を司る神であり、三ノ宮埴生神社の御霊代は土師器である。 == 由緒 == *創建年代は不詳であるが、社伝では、平安時代前期に創建されたと伝えられている。大和朝廷系の土師部一族が、当地(山方郷)で焼畑農耕(焼畑には土の神と火の神とで収穫)を行うとともに土師器を製作していた。近隣の玉作郷では玉作りを職業する玉作部の一族の集落があり、酢取郷(羽取郷(羽取の誤りと言われている))の羽取は「服部」の事で、機を織る一族の集落があり、現在の印旛郡栄町の(麻在郷(麻生郷の誤りと言われている))は麻を生産する一族の集落というように、周辺にはそれぞれの職業集団が郷を形成していた。 *平安時代前期に創建されたと伝えられている「三ノ宮埴生神社」は、これらの移住者全員を氏子とする村の氏神で麻生郷(現在の印旛郡栄町矢口)には「一ノ宮埴生神社」玉作郷(現在の成田市松崎)には「二ノ宮埴生神社」山方郷(現在の成田市郷部)には「三ノ宮埴生神社」というように、各郷の生神を祀っていたと考えられている。 *埴生郡の郡名「埴生」が、古くは土器を作る粘土の「ハニワ」を意味するところから、三ノ宮神社は、一ノ宮、二ノ宮を含む総社的な存在であったと思われ、郷部は元々「郷府」という説があり、埴生郡の中心であったと考えられている。 *現在では近郷三十余社の神社を傘下に置き、成田総鎮守として子育て・安産・初宮参り・七五三詣の祈祷が多く、成田の産土(うぶすな)様として厚く崇敬されている。 *郷部町内に天穂日命をまつる土師神社があり、南の成田ニュータウンには加良部の地名が残る。 また、かつて山方郷と言われていた地域には、他にも土師神社が存在する。(成田市上福田、印旛郡栄町布太、茨城県稲敷郡河内町羽子騎) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「埴生神社 (成田市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|